コンサートでもない、映画でもない、SFでなくもない 「HTML劇場」──

情報風景インスティテュート株式会社

Presents

Human Noon


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リチャード・ドーキンス

Richard Dawkins (1941年3月26日 -)

YouTube:Richard Dawkins Teaching Evolution to Religious Students (52分26秒)

なに喋っているのか分かりませんが、いい声しています。こまったときには、声優にでも(ダニエル)。

YouTube:Militant atheism|Richard Dawkins (31分07秒) 字幕あり

「21世紀のヘッセ」たる詩人、中島みゆきさんは、真の詩人がそうであるように、科学に対し、深い洞察をお持ちでしょう。真の科学者も、また、詩人に違いない ── ドーキンスの文体に溢れかえるものは、センス・オブ・ワンダー、彼もまた詩人であります。中島みゆき『昔から雨が降ってくる』(2007年)は、ドーキンスの著書から得たインスピレーションか ── 詩人は言の葉の魔術師。「雨」は「自己複製子」、この惑星では……



──つづき


『盲目の時計職人』(1986年) 第5章

 外ではDNAが降っている。私の庭のはずれ、オックスフォード運河の土手には、ヤナギの大木が一本あって、綿毛の生えた種子を空中に播き散らしている。風向きはとくに定まらず、種子は木からあらゆる方向に吹き流されている。運河の上流も下流も、双眼鏡で見渡せる限りの水面は漂う綿毛で白くなっていて、きっと別の方角でもほぼ同じ範囲で地面は綿毛に覆われているにちがいない。綿毛はほとんどセルロースでできていて、遺伝情報であるDNAを収めたちっぽけなカプセルをさらに小さく見せている。DNAの体積は全体からみればわずかなものにちがいないのに、なぜ私はセルロースではなくDNAが降っていると言ったのだろうか?
 ……向こうで指令が降っている。プログラムが降っている。木を育て、綿毛を播き散らすアルゴリズムが降っている。これは隠喩ではなく、明白な事実である。


人類の祖先は、たかだか、500万年前。人間の歴史? 文化? 文明? たかだか、5000年、1万年にすぎない。エレクトロニクスにしたところで、マイケル・ファラデーが、電磁場の基礎理論を確立してから、200年ほど。38億年の生命の歴史のなかでは、「毛ほどの」ものさ。

象にたかる蟻(アリ)という陳腐な通り言葉がありますが、そんなもんじゃありません。日本列島の南端から北端まで、ざっと、3000kmを、蟻が2匹、連れだって散歩したとしたら ── 38億年の生命の歴史と人間の歴史(とやら)の比に相当するでしょう。

写真では、あんまり違いませんが、実際の木星と、実際のたこ焼きくらいの比になりましょうか。小腹がすいてきた。(かみさん「耳毛とろうか、刺抜きで」「うん、たのむ」内心「女心はなぞだなあ」かみさん「なんか言った?」)

たこ焼きの、ほぼ中心(焼き方による)にはタコがあります。木星の中心は炭素。高温・高圧によって結晶になっています。炭素の結晶──すなわち、ダイヤモンド。推定質量は少なく見積もって、10000000000000000000000000000グラム。お好みに応じて、カラットでいえば、(「誕生石、ダイヤモンドなんだけどな」「…」)。

木星と、その衛星の影 たこ焼き、30個

『昔から雨が降ってくる』(中島みゆき 2007年)

♪僕は思いだす 僕の正体を

『歌旅 中島みゆきコンサートツアー2007』(DVD、Blu-ray)に収録された同曲は、中島みゆきさんの歌唱はもちろん、そのさりげない仕草と、みゆきさんが舞台を去ったあとの、瀬尾一三さん編曲によるエンディングが心地いい──照明やカメラワークにも惚れぼれ。『with』も、また然り(Guitar 古川望)。

♪同じ雨にうなだれたのだろうか

遭遇その三 六五〇〇万年前、メキシコ湾
──それは、大気にさしわたし十キロメートルに及ぶ穴をうがって垂直に落下し、発生した熱で大気そのものまでが燃えあがった。
……酸化窒素の雨が空から降りそそぎ、海洋を酸性に変えた。焼きはらわれた森林から出た煤煙の雲が何カ月ものあいだ太陽を蔽い隠して空を暗くした。世界的に気温が急低下し、最初の大変動を生きのびた動植物の大半を滅ぼした。数千年をしぶとく生きぬいた種もあったが、巨大爬虫類の支配は結局終わりを告げた。

『神の鉄槌』(アーサー・C・クラーク 1993年)より

『銀の龍の背に乗って』(中島みゆき 2003年)

♪僕はこの非力を嘆いている わたボコリみたいな翼でも

動物の皮膚は常に剥がれ落ちていて、室内の埃の大半は、我々ヒトのそれで、集まって「わたボコリ」に、詩人だなあ──掃除がお好きなのかも。きっと、そうだ。

新聞。シングルCD「荒野より」発売

これは、2011年9月1日の新聞(右下の「荒野より」にも着目)ですが、
ドーキンスに戻りましょう。人間は犬や猫と同じ動物、ヒト科のひとつ。たまたま、ほかのヒト科が絶滅したため、ホモ・サピエンスと自称し偉そうにしている ── 桃、栗、柿などの植物、そのまた祖先の細菌の祖先と同じ祖先から「自然選択」によって進化してきた、その途中──。何回かの氷河期、ときには、全球凍結のなかにであってさえ。よって、この先、何十億年と、全生命は、絶滅を繰り返しながら進化を続ける。生命の歴史をみれば明らかなように、この先、ヒトは、もはや、いない。

「ヒト」が特別な存在だなんて、進化生物学者に言わせれば、非連続精神もいいところ、分かりやすくいえば、妄想だぜ。──ある高名な生物学者が、憤慨して怒鳴るには「ああ、言わせてもらえばだ、動物のほとんどは昆虫さ。これで、いいか? 研究に戻りたいんだ!」。地球上の植物全体の質量は、1兆トン。動物全体の質量は、100億トン──そのほとんどが、細菌、うたがわない虫、さびしがる魚です。


『神は妄想である』(2006年) 第6章 道徳の根源

 世界のなかで生き残る単位とは、この階層秩序のなかで、自分と同じレベルにいるライヴァルを犠牲にして生きのびることに成功したものである。厳密にはそれこそが、この文脈で利己的という言葉が意味するものである。問題は、その作用の舞台となるレベルはどこか、ということだ。力点を正しく、後ろのほうの単語(遺伝子)に置いた、利己的な遺伝子という考えの趣旨は、自然淘汰の単位(つまり利己主義の単位)は利己的な個体ではなく、利己的な集団でも、利己的な種でも、あるいは利己的な生態系でもなく、利己的な遺伝子だということにある。


個体は必ず死にます。DNAという分子も同じです。ところが、遺伝子(という情報)は、何百万世代に渡って生きのびていきます。突然変異が「自然選択」にさらされ生き残ったとき、長い長い時間のなか、漸進的(ぜんしんてき)に、累積されます。その過程を進化と呼びます。

──「自然選択」は、ダーウィンが『種の起原』(1859年)のなかで使っていることば(natural selection)です。


『進化の存在証明』(2009年) 第10章 類縁の系統樹 分子的な比較

 これは本当に驚くべき事実で、ほかの何にもまして明瞭に、すべての生物が単一の祖先から由来するものであることを示している。遺伝暗号そのものだけでなく、第8章で扱った、生命活動を営むための遺伝子/タンパク質というシステム全体が、すべての動物、植物、菌類、細菌、およびウイルスを通じて同じなのである。


動植物のお名前はカタカナで表記することになっています。これは、生物学の基本、ところが、人間だけ、「人」とか「人間」と書きます。これは、明らかな誤りです。人間はヒトと書くべきです。1人、2人、といった単位なら、まあ、太っ腹をみせて許す。本来なら、1匹、二匹、だけど、それじゃあんまりだ、ということで。

「人間」は「人」・「間」と書きます。「間」は難解です。「時間」「空間」が難解なように。「一間」なら尺貫法で約180cm、「世間」と来たら、これは、もう、『人間失格』(太宰治 1948年)。ついで、未完の遺作『グッド・バイ』。──人間はつらいよ。弱肉強食は、ただの言葉にすぎない! 虚だ。

星新一氏いわく、「新聞連載などしなけりゃ、死なずにすんだと、おれは思うがね」。優しいね。人間失格をヒト失格と置き換えれば、ネコ失格があり得ないように…。人間はヒトであり、すなわち、生物であるという、極めて当り前の……


『復活の日』(小松左京 1964年) 第一部 第四章 5 八月第二週

 「ヘルシンキ大学の文明史担当ユージン・スミルノフ教授です……私のことを、知っておられる方が、まだのこっているとは思いません。また、どなたかが、まだ生きていて、私のこの放送をおききになっているとも思いません。──しかし、私はかたらずにはおられません。──今日は、私のラジオ講座の日です。──これが最後の……あらゆる意味で最後の講座になるでありましょう。──さいわい、この放送局は、自家発電によって、まだ電波を出しているようであります。

 「私の本日の講義の主題は簡単であります。──ヨーロッパ各地の大学で、十年にわたって講義をつづけながら、私は一度もこのことをはっきりとは申しませんでした。あたり前すぎるほどあたり前であり、それは単に出発点の、0(ゼロ)にすぎず、いくらやっても仕方のないことでした。──そしてまた、それは私の専門とする文明史の決着点であります。──それは、人間もまた生物であり、生物にすぎない、ということであります。

復活の日

つい、小松左京に寄り道をしました。ついでに、もひとつ、ふたつ、道草を…
ドーキンス先生もおっしゃっています。寄り道もしないで、何の人生か。


『筆のすさびと落穂拾い』(ショーペンハウアー 1851年)

…ところで、幸福な生活とは何かといえば、純客観的に見て、というよりはむしろ、〔この場合、問題は主観的な判断の如何にあるのだから〕冷静にとっくりと考えてみたうえで、生きていないよりは断然ましだと言えるような生活のことである、とでも定義するのが精一杯であろう。…

ショーペンハウアー

バートランド・ラッセル(1872年5月18日-1970年2月2日)

映像と音声 百害あって一利なし(3分25秒) 字幕:辻憲行 氏


ドーキンスに戻りましょう。


『利己的な遺伝子』(1976年) 2 自己複製子

 同様に、自己複製分子を「生きている」といおうというまいと、それらの分子のたどった道は、おそらく、私が述べているのと多かれ少なかれ似たものであったろう。ことばというものはわれわれが自由に使う道具にすぎず、またたとえ「生きている」というようなことばが辞書にあるからといって、そのことばが現実世界における何か明確なものを指しているとは限らない。人間の苦難はこういったことを理解していない人があまりに多いために生じているのだ。


さて、役者が揃ってきましたな。


音楽(幕間)

Cavalleria Rusticana INTERMEZZO
Georges Prêtre(2009 Chorégies d'Orange)

4分56秒 冒頭22秒は、指揮者が唇に指を当てて…


カール・セーガン(1934年11日9日-1996年12月20日)

ドーキンスの敬愛する天文学者カール・セーガンは、地球外知的生命体の探索、圏外生物学を開拓しました。ボイジャー計画を推進し、いま、ボイジャー2号は、太陽系の圏外── 「圏外」は、こういう文脈で使ってね──を飛行中です(2018年11月5日に太陽系を離脱、ただ、あてどのない孤独の旅のさなか)。ドーキンスの計算によりますと、この銀河系(天の川、The Milky Way)には、まず、地球人だけだろう、と。

カール・セーガンが出演した、
テレビ番組『コスモス(宇宙)』(1980年)の背景音楽
Alpha Vangelis(1976年) 6分50秒

Vangelis(ヴァンゲリス 1943年3月29日-)


『利己的な遺伝子』(1976年) 3 不滅のコイル

 われわれは生存機械である。だが、ここでいう「われわれ」とは人間だけをさしているのではない。あらゆる動植物、バクテリア、ウイルスが含まれている。地球上の生存機械の総数をかぞえあげることはとうていできない。…われわれはすべて同一種類の自己複製子、すなわちDNAとよばれる分子のための生存機械であるが、世界には種々さまざまな生活のしかたがあり、自己複製子は多種多様な生存機械を築いて、それらを利用している。…DNAのいとなみは、まかふしぎである。


虹の解体(1998年) いかにして科学は驚異への扉を開いたか

 私の初めての著書『利己的な遺伝子』を出版してくれた外国のある編集者がいった。あの本を読んだあと、冷酷で血も涙もない論理に震撼して三日眠れなかった、と。別の複数の人間からは、毎朝気分良く目覚めることができますか、という手の言葉をもらった。…このように、救いがない、無味乾燥だ、冷たい、といった非難は、しばしば科学に対して投げつけられる言葉である。科学者の方もわざとそのような表現を好む。…本来、生きる意味に満ちた豊かな生を科学が意味のないものにしてしまう、という非難ほど徹底的に的外れなものもあるまい。そういう考え方は私の感覚と一八〇度対極に位置するものだし、多くの現役の科学者も私と同じ思いだろう。しかし、私に対するそのような誤解のあまりの深さに、私自身絶望しかけたこともあったほどである。だが本書では気を取り直し、…ここで私がしたいのは、科学における好奇心(センス・オブ・ワンダー)を喚起することである。というのも、私に対する非難や批判はすべて、好奇心を失った人々に由来しており、それを考えると心が痛むからである。私の試みは、すでに故カール・セーガンが巧みに行ったことでもあり、それゆえ彼の不在がいまはいっそう惜しまれよう。


ミドル・ワールド(中くらいの島)

われわれは、何十億年という長い長い時間や、光が1メートルを進む短い短い「時間」、また、分子や銀河系といった極微・極大のスケールの「空間」に、生きてはいません。せいぜい、数十年という時間と、身の丈の長さの世界に生きており、それで困ることは、ない。「起きて半畳、寝て一畳」。

地質学的時間の中で起きる「進化」が何の実感を伴わないように、また、光は「波であり粒である」とする、量子力学のなぞなぞ、太陽系の圏外を航行中のボイジャー2号から電波が届くのに20時間かかると知っても、ふうん、です。それで、平気なのは、なぜでしょう。

ドーキンスが、「ミドル・ワールド」という概念を提唱し、真相を明らかにしてくれます。──われわれ動物は、数年から数十年という時間と身の丈の長さの世界、すなわち、「中ほどの世界」(middle world)で生活し、進化してきたからだ、というものです。なるほど。明快だ。

♪3つ隣の 中くらいの島に着いて
──『スクランブル交差点の渡り方』(中島みゆき 2012年)

途方もない時間や空間は、生きるうえでは、いっそ、お邪魔むしであり、そのむしは自然選択でふるい落とされます。それが進化というものです。生存競争ではなく(Don't be fooled.)、自然選択が累積する。 なが──────────────────い、じかんをかけて。

われわれヒトも、進化の過程にある生物のひとつです。

では、さらに、いったい、なぜ、科学は、ミドル・ワールドという、いわば「隙間」を、これまで押し広げて来たのか、そして、さらに押し広げようとしているのか。リチャード・ドーキンス「いかにして科学は驚異への扉を開いたか」、好奇心、驚きの心── sense of wonder

科学は考え方です。好奇心を発端とする「疑問」を、妥当な「問い」とし、仮説を立て、論証と実証を繰り返し、反証を求め、それに応じて「問い」の立て方自体を問い直し──出直す。

その成果の一例、物質が原子でできており、また、南極大陸が南半球にあること、その氷の下にも生命(細菌、その細菌の全質量は、ヒト科の全質量に匹敵するのではなかろうか)が暮らしていることを疑う人は、いまや、だれもいない。そう、そこまで到達すれば、これは「科学」だ。道具は、論理と数学──このようにして得られた知識は膨大だ。好奇心に発し、驚異に至る。理性の時代といわれる18世紀この方、わずかな世紀を越えて──。

「正」という文字は五画です。これは数学であり、論理(真か偽)です。そして、科学は、限りなく真実に近いことが実証された理論体系です。水を冷やせば、氷になると。

電子工学という応用技術、その基礎となる科学の一分野「電気」にしたところで、マイケル・ファラデーが、電磁場の基礎理論を確立してから、まだ、わずか、2世紀。ファラデーに続き、マクスウェルが、二つの偏微分方程式として数学的に整理し(1864年)、アインシュタインの光量子仮説(1905年)へと続く。

建設された知識体系、そのごく一端をみるにつけ、どうして、そこまで、分かったのか、と、驚異の念に打たれる。──いや、それだけじゃない。そもそも、なぜ分かることが「できる」のか──ましてや──その認識を「数式でもって表現でき、それを正しいとする」としていいのか、うむ、Mission Impossible だ──いったい、なぜ、どうして、「中ほどの世界」の住人たるヒトに、──そう、そのこと自体が驚異ではないか、このこと自体が……

ファラデーの言葉
得体の知れぬ電気が、何の役に立つのですか、と、問われ、
生まれたばかりの赤ちゃんが何の役に立つとお思いですか。

アインシュタインの言葉
The most incomprehensible thing about the universe is that it is comprehensible.
宇宙について最も理解しがたいことは、それが理解可能だということである。

アーサー・C・クラークの言葉
そして銀河系全域にわたって、精神以上に貴重なものを見出すことができなかった彼らは、星々の畑の農夫となり、──私は待たないことに決めた。

ヘルマン・ヘッセの言葉
それがまもなく、おもてだって強力になり、精神の新たな自律と品位を回復する端緒となった。

science is diamond's 刀だ──copyright.


理性の時代

みるところ、理性の噴射推進装置は、ディヴィッド・ヒューム、その人。

バートランド・ラッセル

バートランド・ラッセル『図説・西洋哲学思想史 ―― 西洋の知恵(下)』(1959)

なんだか、よく分かりません。何回読んでも、難解なことは、いいです。若いころとは違うんです。


リチャード・ドーキンスにひとこと申し上げたい。脳の働き、その比喩として、電子計算機を持ち出すのは、科学的的でない。公正を期していえば、比喩するものが「ない」のが「脳」であれば、そしてそうなのだから、これは致し方ない。

なお、そこで god を持ち出す人々に、戦闘的無神論で追い詰め、逃げ場を一切残さない。──やるじゃねえか(ジョー・高橋)。痛快だ。

ついでに、小松左京にもひとこと申し上げる。底知れぬやさしさゆえか、10万年に及ぶ Zeitgeist か、もしくは、ジョークなのか、情けないと、"My God, it's full of stars!"、宇宙に逝く…。 追伸、情は、(ジョー)は、本編で出演します(果てしなき情報の方に copyright.)。なお、前述、太文字のヨーゼフも同様。


My God, it's full of stars!


──つづく