※本記事は、2019年6月に執筆、10月に加筆、2020年2月に訂正・再加筆、7月に校正。第一部 完。
2020年9月 第二部 完。2022年1月 第三部 執筆再開、2月3日 第三部 完。3月18日 第四部 完。
コンサートでもない、映画でもない、SFでなくもない 「HTML劇場」──
Presents
Human Noon
※本記事は、2019年6月に執筆、10月に加筆、2020年2月に訂正・再加筆、7月に校正。第一部 完。
2020年9月 第二部 完。2022年1月 第三部 執筆再開、2月3日 第三部 完。3月18日 第四部 完。
コンサートでもない、映画でもない、SFでなくもない 「HTML劇場」──
Presents
Human Noon
情報風景、それは、風のささやき──
情=情け
報=報われる=知らせ
風=Air=大気(窒素、酸素、水、アルゴン、二酸化炭素)×地球の自転・公転(The Sun)
景=(第一幕第一)景
缶ビール1本、かみさんと分け合って、互いに真っ赤になります。我が家の冷蔵庫には、牛乳、烏龍茶(SUNTORY)、果実水(Asahi、KIRIN)、Coca-Cola、ついでに、アイスキャンディーが常備されています。底値を熟知(!)している、かみさんが、あちこち、回って仕入れてきます。感謝(こにに、exclamation mark 入れた方がいいのかな)。お気に入りのグラスに氷を5個(五大大陸)入れて、さて、何を飲むかなと、いっとき思案し、氷の上(地球)に注ぎ、HOPE とマッチを持って、そんときの気分次第で、台所の換気扇の下、もしくは、庭に出て、雲を見上げたり、星や月、流れ星を眺め、雪景色、鳥たちや蛙や蝉の声(地球の音楽!)、グラスをかたむけます。しあわせ、これ以上、なにをのぞむか。外出先では、自動販売機は使わず、スーパーマーケットに立ち寄ります。やっぱ、グリコ。
ざっと4千の、大小さまざまなの島からなる日本列島は、ハワイなんかより、よほど、棲みやすい場所だと思います。春夏秋冬はハワイには、ありません。温帯・海洋性気候のおかげで ── 春 ── 夏 ── 秋 ── 冬 ── 高い山々のおかげで、きれいな川、おいしい水、水田、畑。きれいな海、魚。ヒトが生きるのに必要なのは、空気、水、若干の食料と、ねぐら。
日本列島は、ユーラシア大陸の東端の沿岸沖にあって、東西3千km、南北3千km(北緯20度から北緯46度)、面積38万平方km、そのうち75%が山地。高い山々が連なる山脈があるため、雨が降る ── 雨は、すなわち、水。水は、命の元。米国が、わざわざ、第四惑星、火星まで探査機を飛ばす、その任務は、命の元である「水」を探すこと ── いまんところ、太陽系内に水がある場所は、地球と、エウロパです。エウロパは、第五惑星、木星のガリレオ衛星の一つ。ガリレオ衛星は、内側から、イオ、エウロパ、ガニメデ、カリストです。
エウロパの表面は氷ですが、その下には、液体の水があり、つまり、地下深くに熱源があり、その熱源は、エウロパにとっての母星である木星の潮汐作用によりますが、海底に熱水鉱床の存在が予測されます。熱水鉱床から噴出する熱水には、有用元素が含まれているでしょう。生命に必要な要素、水と食料と熱源が揃っています。必然的に、生命が存在する、そのための探査が議論されています。
一方、「青い惑星」といわれる地球は、その表面の70%が海です。「地球」と呼ぶより、「水球」が相応しいくらいです。海は塩分を含んでいますので、海水です。我々が日々使っている水は、淡水で、河川や湖沼(こしょう)に存在する地表水。これは、地球上のすべての水のわずか0.01%です。 ── 緯度が高い(北極・南極に近い)と、水は氷りますし、大陸内陸部では降雨量が少なく、砂漠を思い描いてください、水は貴重です。我々の棲む日本列島が、如何に恵まれているか、分かろうというものです。
その日本列島は、火山列島、地震列島です。まず、地球上の火山の10%が日本列島にあります。次に、日本海溝の最も深い所は、エベレストにも匹敵する深さがあります。地殻変動、造山活動が盛んです。小松左京氏が『日本沈没』を執筆した背景のひとつ ── ここで、小松左京氏の、一側面を記します。
いとし・こいしの新聞展望(ラジオ大阪 1959年-1962年)構成
『地には平和を』(早川書房主催の第1回空想科学小説コンテスト 1961年)
『お茶漬けの味』(早川書房 SFマガジン 1962年10月号)
日本SF作家クラブを創設(1963年)
歴代会長:星新一、矢野徹、小松左京
『紙か髪か』(オール讀物 1963年)
『情報産業論』(1962年発表の論文)の梅棹忠夫と知り合い、意気投合。
京都の梅棹家で開かれていた「梅棹サロン」に参加し
「万国博を考える会」を結成(1963年)。
題名のない番組(ラジオ大阪 桂米朝とのトーク番組 1964年-1968年 )
『復活の日』(早川書房 1964年8月)
映画化(製作:角川春樹事務所とTBS 配給:東宝 1980年)
万博(日本万国博覧会) 「人類の進歩と調和」 1970年
・岡本太郎(チーフ・プロデューサー)、小松左京(サブ・プロデューサー)
・「太陽の塔」内の展示を、DNAの巨大な模型で、生物の進化を現す
・アポロ12号が持ち帰った「月の石」を展示(アメリカ館)
「国際SFシンポジウム」を主宰。米・英・ソ等のSF作家を日本に招いた(1970年)。
アーサー・C・クラーク、ジュディス・メリル、フレデリック・ポール、
ブライアン・オールディスら。
『日本沈没』(光文社カッパ・ノベルス 1973年3月)
映画化(東宝 1973年)
『宇宙に逝く』(1978年)
LPレコードに収録の、書き下ろしのオーディオ・ドラマ
出演:日下武史ほか
『さよならジュピター』(東宝と株式会社イオ 1984年)
地球の四季
いま 地球のどこかは春 それとも夏
いま 地球のどこかは秋 それとも冬
いま 地球のどこかは朝 それとも昼
いま 地球のどこかはたそがれ それとも夜
地球の質量は、6000000000000000000000トン、公転面の法線に対して、23度半傾けて、太陽の恵みを受けながら、くるくる、1年で、900000000km の「宇宙の旅」。ゼロの数が間違ってたらゴメン。ここで、一時停止。 こんな素晴らしい星に生まれ育って、それだけで、仕合せじゃん。「苦痛」は、人の間で創り出しているんです。太陽から出た光が地球に届くまで、8分19秒(パッと光って、それ行くぞ)。この類の数字は、一度覚えたら、忘れようもない。なお、地軸の歳差運動の周期は約2万6千年。かつて、北極は南太平洋上に、というか、あちこちに動いた。北極星というのは二重の意味で誤り。ひとつは、前述のとおり。もひとつは、北半球の思い込み。白亜紀は、ついこの間のこと。約1億4500万年前から6600万年前。恐竜絶滅 ── つまり1億年生き延びた。人類は? ジュラ紀から続く中生代の後期 ── 「後期」は、こういう文脈で使ってね。地球ができたのが45億年前、生命は38億年前。大気はほぼすべて二酸化炭素だった。38億年前に生命が発生、まずは、いまでいう植物が二酸化炭素を食べ、酸素を出した。植物という命にとっては、酸素は廃棄物です。
さて、そんなわけで、恐竜が栄えたのは、二酸化炭素が豊富にあったから。いま、植物は飢餓状態 ── 戦時中に、食べ盛りだった小松左京の、言の葉 ── 「植物さん、かわいそうに!」。食物連鎖。地球上の植物全体の質量は、1兆トン。
20世紀半ばから始まった宇宙開発の過程で、地球の周囲には、地磁気によって「バンアレン帯」が形成されていることが確認されました。惑星探査では、木星、土星、天王星にも、その存在が確認されました。地球上の生命は、バンアレン帯と大気によって守られています。太陽からの太陽風(プラズマ流)や、宇宙空間からの宇宙線、すなわち放射線が地上に降り注ぐことがないのは、地磁気と大気があるからにほかなりません。
タバコの原料は、ナス科タバコ属の煙草、つまり、葉っぱです。ヘビースモーカーだった小松左京氏の名言を紹介しておきましょう。「医者は、タバコは体に悪いというけどさ、生きているのが一番身体に悪いぜ」。
日本列島は、あと、十万年は沈みませんので、ご安心あれ。しかしながら…
梅棹 忠夫 氏 の著作から、趣旨を引用します。
・情報産業論(1962年)
・情報の文明学(1988年)
農業の時代から工業の時代へ、そしてさらに情報産業の時代へという、文明史的変化。C・G・クラークによる三分類、すなわち、第一次産業(農林水産業)、第二次産業(鉱工業)、第三次産業(商業、運輸業、サービス業)が、しばしばもちいられるが、しかし、工業の時代とは、じつは商品生産の時代にすぎないので、どうもおかしい。
食べることを産業化し、人間の労働の産業化を行い、その次に、人間の全活動のなかで「精神」こそは、最も組織化の後れている部分であるから、近代的工業生産のゆきつくはてに、精神産業が展開していき、情報産業になる。
ビットとよばれる情報の単位で情報量の測定は可能だが、量を見ても意味がない。情報産業化は工業化の問題点から起きた。近代工業は生産方式としてはきわめて粗雑のものであって、その大部分はサイバネティックスでいうところのフィード・バックの機構さえもたない。大量生産、大量販売、大量消費という粗雑なやり方の文明だ。
それが、文明の質が細かく精密になってきたため、消費のほうの欲求も個別化するし、生産のほうもそれにあわさなければならない、という多様性の時代になった。最低の機能を充足すればよいというかんがえが否定されたというべきだろう。
情報には、軍事情報も産業情報も、その情報を得たものに大きな利益をもたらすという面がある。他方で、そのような利益をもたらさないような情報も存在していて、現実の世界の情報の大部分が、この種の無意味情報である。
自然もまた情報であるからこそ、観光という情報産業が成立するのであり、情報を送り手と受け手に分類するのではなく、情報はあまねく存在する。世界そのものが情報であると考えるしかない。従来型の目的の想定だけではうまく行かない。
品質がよければ見かけはどうでもいい、デザインはそのうわべをかざる見せかけにすぎない、という発想は否定され、その製品に付加された情報的価値こそが品質と受け取られている。腕時計はファッションの道具という面が強くなった。
こういう時代には、生物体における非合目的性、つまり、生物体は、すべての部分が目的論的に解釈できるものではない、という発想が参考になるかもしれない。明確な目的概念でその存在を説明することは難しいともいえる。
時計のファッション性を、目的論的な発想で説明することは難しい。時計としての構造をもち機能をもっているというだけでは十分ではなく、従来考えられていた目的以外のことも可能になるかもしれない。それがファッション性だろう。
目的以外の可能性が確立されたとき、種々雑多、ありとあらゆる情報がそれにのりはじめる。つまり、機能や構造をもう一度再定義してみることが重要なのだろう。再定義の結果、新たな付加価値をつける可能性が見えてくるだろう。
なんだか、よく分かりません。
火星と木星のあいだには夥しい数の小惑星からなる帯が存在し、そのなかでも、お名前のついた小惑星があり、6983番は「Komatsusakyo」と命名されました(2002年)。
「人類は情報網が密になると、精神的に傷つきやすく、鋭敏になる。21世紀の現在は、もっと傷つきやすい。しかし、だからといって手をこまねいているわけにはいかない」
── ついでながら、小惑星2001番は「アインシュタインとかいう野郎に割り当てられている」とは、クラークの言。(小惑星4923番「Clarke」)
…… おまけながら、日本を沈没させたのは、「おい、ここらで、少しは、あたま、冷やせよ」と、星 新一氏とつるんでの、ジョークだったのかなあ、なんて、思うに到ることもございますが、これはまあ、耄碌した筆者の妄想です。庭に砂場を作るとか宣言してから、もう七年。なに考えてるのと、かみさんのおこごと(こにに、exclamation mark 入れた方がいいのかな。さいわい、かみさんは feature phone 止まり。それをいいことに駄文を連ねましたが、こんくらいの私事は許されるべきでありましょう。)。
1970年-1971年 SHADO最高司令官・ストレイカー
ヘルマン・ヘッセ 『ガラス玉演戯』(1943年)
── 東方巡礼者たちに
序章 ガラス玉演戯
演戯名人、ヨーゼフ・クネヒトの伝記の試み、
クネヒトの遺稿を添えて (H・ヘッセ編)
……ある点では、そしてまた思慮の浅い人々にとっては、現実的に存在しないもののほうが、存在するものより、ことばによって表現するのに、容易であり、責任を伴わないかもしれないが、敬虔で良心的な歴史家にとっては、まさにその反対である。すなわち、ある事物の現実的存在は証明することができないし、ほんとうらしくもないとしても、敬虔な良心的な人々が、それをある程度存在するものとして取り扱うことによって、存在と生起の可能性に一歩近づけられるような事物がある。そういう事物ほど、ことばで表現しにくいものはないが、また、そういう事物ほど、人々の目の前に示してやる必要のあるものはない。 アルベルッス二世
クランゴールおよびコロフ出版
精神の結晶に関する論文、第一巻第二十八章
こうして、新聞のフェユトンとまったく同様に、意味を失ったばらばらな教養価値や知識の断片の大洪水の中をもがいていた。簡単に言えば、すでにあの恐るべきことばの平価切り下げの直前にあったのである。それはまず、まったく秘密なごく小さいサークルのあいだに、英雄的禁欲的な反動を呼び起こし、それがまもなく、おもてだって強力になり、精神の新たな自律と品位を回復する端緒となった。
1945年に人工衛星による通信システムを提案し、90歳で亡くなるまで、人類の未来を楽観的に描いてきた、アーサー・C・クラーク。
『2001年宇宙の旅』 2001: A Space Odyssey (1968年)
『2010年宇宙の旅』 2010: Odyssey Two (1982年)
『2061年宇宙の旅』 2061: Odyssey Three (1987年)
『3001年終局への旅』 3001: The Final Odyssey (1997年)
HOW THE WORLD WAS ONE:
Beyond the Global Village
by Arthur C. Clarke
序文:1991年4月20日 スリランカ、コロンボにて アーサー・C・クラーク
あとがきにかえて:小松 左京
アーサー・C・クラーク (1917年12月16日 - 2008年3月19日)
小松 左京 (1931年1月28日 - 2011年7月26日)
Richard Dawkins (1941年3月26日 -)
YouTube:Richard Dawkins Teaching Evolution to Religious Students (52分26秒)
なに喋っているのか分かりませんが、いい声しています。こまったときには、声優にでも(ダニエル)。
YouTube:Militant atheism|Richard Dawkins (31分07秒) 字幕あり
「21世紀のヘッセ」たる詩人、中島みゆきさんは、真の詩人がそうであるように、科学に対し、深い洞察をお持ちでしょう。真の科学者も、また、詩人に違いない ── ドーキンスの文体に溢れかえるものは、センス・オブ・ワンダー、彼もまた詩人であります。中島みゆき『昔から雨が降ってくる』(2007年)は、ドーキンスの著書から得たインスピレーションか ── 詩人は言の葉の魔術師。「雨」は「自己複製子」、この惑星では……
──つづく
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