コンサートでもない、映画でもない、SFでなくもない 「HTML劇場」──

情報風景インスティテュート株式会社

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Human Noon


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第二部 地球塔の建設



  政治と宗教は過去のものになりました。
  科学と精神の時代が来たのです。
  (1962年10月15日、コロンボにおけるセイロン科学振興協会へのジャワハラール・ネールの挨拶)

  ──A・C・クラーク『楽園の泉』 扉より引用


第七章 都市沈没

「なかなかしゃれている」とグスタフは言った。「だが、実際は、おれたちの殺した連中がなんという名だったかは、どうでもいいのだ。彼らはおれたち同様憐れなやつなんだ。名まえなんか問題じゃない。世界は滅びなければならない。われわれもいっしょに。世界を十分間水にひたしたら、一番苦労のない解決だろう。まあ、仕事にかかろう!」
(Der Steppenwolf, 1927)



七人

…さ。そろそろ、このくらいで、いいのじゃないか。地球公社に…。

こちらアスカ。海洋部の計測によると、海水面は平均で110m±5m上昇したところで安定した模様──上出来です。地球上の都市は、ほぼすべて水没しました。気の早い魚が、かつての高層ビル群を泳ぎ回り、新しい住処を探索しています。

海水面百メートルの上昇…、ということは、エウロパの海水面はどのくらい下がったのかな。

地球の海の平均深度が四千メートルに対し、エウロパの海のそれは十万メートルですので、たいして、…いま理論値と実測値を突き合わせているところ、電波伝搬に一時間近く掛かりますし、しばらくお待…

地球と木星圏の相対的位置関係によりますが、電波で一時間掛かるという事実は「遠い」というよりは、電波の進み方が「遅い」という方が、正しい気がしますね。まさにその通り。科学が光速度を観測し、工学が電波を利用するようになって、初めて体感するようになった、新しい「感覚」だね。──実際、電波は遅いよ。太陽系内でさえ、これだからね。

ただね。──なんです──。地球の海で、音波で呼びかけあって暮らしているクジラたちは、とうの昔に、数時間の遅れに適応しているよ。われわれにとっては、太陽系が「海」さ。──そうですね──。

エウロパに存在する水の一部を減らすことで、エウロパの熱平衡がわずかに変移し、氷ではなく、液体の水が、割合として増加し、でき得れば、エウロパに生命の発生と進化を促すことになるといいね。いまのところ、ほかに生命進化の可能性のある場所はないのですから。いずれにせよ、この先、エウロパ・タワーが長く「観測塔」として機能し続けることを願うよ。

エウロパ・タワーは、エウロパの海の水を汲み上げ、巨大な立方体の氷に成型し、投石機のしくみを巧みに使って、地球への軌道に乗せるという役目を立派に果たしました。今後は、見守る役目…

ただ、一群の氷が軌道を外れました。遠隔操作で、エウロパの母星──木星に誘導しましたが…。そういった僅かな例外を除けば、事故はありませんでした。もっとも、エウロパ・タワーの建設と運用は、地球塔の建設と運用で豊富な知識と経験がありましたので、さほどの困難はなく、ま、お安い御用でしたね。

地球の側では、四基の地球塔 ── インドタワー、アフリカタワー、アメリカタワー、オーシャンタワー ── からなる、リング・ワールドで一旦受け止めて、高度0mで速度0km/hになるように大洋に誘導し、静かに沈めました。何年にも渡り何百万個の巨大な氷が、エウロパから地球へと運ばれたのです。次第に海水面は、徐々にゆっくりと上昇し、目安とされた百メートルに達しました。ゆっくりやりましたので、海水温その他に異変はありません。塩分濃度の変化は検出限界未満、海流は若干…。

四基の地球塔のうち、最初に建設したのは、初代モーガンが手掛けた「宇宙エレベーター」で、地上三万六千キロメートルの静止軌道から、自重で切れない強度を持つケーブルを地上にまで届かせ、基礎工事ほぼ完了、モーガンは去りました。現在のインドタワーです。タワー基部には、片手にあのスピナレットの実物を持ち、安堵したかのような表情のモーガンの像があります。


『楽園の泉』(アーサー・C・クラーク 1979年)第五部 上 昇  52 もう一人の乗客

 彼は部屋を再与圧し、宇宙服のヘルメットを開けて、冷たい強化オレンジ・ジュースをたっぷりと飲んだ。それから駆動装置を入れるとブレーキを解除し、スパイダーが全速力に近づくにつれて、いいようのない安堵を感じながら後にもたれかかった。
 何分か上昇したころ、足りないものがあることに気がついた。彼は切実な望みをかけながら、ポーチの金属格子をのぞいてみた。いや、そこにはなかった。まあいい、投棄した電池の後を追っていま大地へ戻りつつあるスピナレットの代わりは、いつでも手に入れられるし、これだけのことをやりとげるためには小さな犠牲だった。だから、彼がこれほど取り乱していて、成功の喜びに心からひたれないでいるのは、不思議なことだった・・・・・・。彼は古い忠実な友人を失ったような気がしていたのである。


工学者・ヴァニーヴァー・モーガン。地球公社の前身の、地球建設公社の技術部長(陸地部門)だった。まだ、政治とかいう厄介なしろものがあった時代だね。モーガンの苦労が偲ばれる。

うむ。ところで、エウロパから地球へ水を運ぶことが、工学的に困難はないにせよ、地球の海面を百メートル上昇させるだけの手間暇かけたのは…。「世界は滅びなければならない。われわれもいっしょに。世界を十分間水にひたしたら、一番苦労のない解決だろう。」は、なかなかの、気の利いた冗談だと思っていたよ。

プロジェクト都市沈没は実現しました。沈んだのは無人の都市ですがね。ユーラシア大陸の東端の沿岸沖にあった列島と同様にね。人々やらペットらは、四本の地球塔で安楽に暮らしていますよ。まあ、これは「端緒」に過ぎません。

「精神の新たな自律と品位を回復する端緒」だね。──まず、地球上から沖積平野を減らすこと、そこから始めようと。地球式を思いかえそう。もしくは「イクラの親」。

ところで、アスカ。みんなはどうした。あの七人だが。

その前に、ひとこと。──いったい、あなたはどなたです?

わたしは君だ。

哲学は御免ですよ。

わたしだって、そうだ。工学なんだ。わたしは、冷凍睡眠中のMG──ミシェル・ジェランだ。冷凍睡眠中につき、アスカ、君が代行してくれている。違うかね。

はい、そうです。わたしは、わたしであると同時に、あなた、MGの代行者です。つまり、2/2。Artificial Existence 人工実存。


【実存】 現実的な存在。普遍的な本質ではなく時間・空間内にある個体的存在。
 特に人間実存を意味し、自己の存在に関心をもつ主体的な存在。自覚存在。

※ 自意識を持つ機械(AE)をつくるとすれば Computer や AI とは別の道を通る必要があるのではなかろうか。第一仮設、その道は”運動”かも知れない(第十三章参照)。(論証は雑誌等に寄稿する論文で明らかにします)



──つづく