コンサートでもない、映画でもない、SFでなくもない 「HTML劇場」──

情報風景インスティテュート株式会社

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Human Noon


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第八章 地上の島

四基の地球塔のうち、アフリカタワーとアメリカタワーは大陸内部の高地に建設された。インドタワーは、比較的大きな島に建設された。オーシャンタワーは大洋に建設された。オーシャンタワーの基部周辺に広がる諸島に、あの七人はいた。

アスカ、「イクラの親」って、なんだい。

やあ、ジョー・高橋。愛馬に会えたかい。

ああ。草原の島で、いっぱい、はなしをしたよ。わかりあえるんだ。

あの「イクラの親」っていうのはね、もちろん、鮭(salmon)のことさ。
ジョークの好きなみゆきさんの文章から引用させてもらったんだ。


親しい呼び名としては「サケ」よりも「シャケ」のほうか、
もしくは「イクラの親」としてのほうかもしれませんね。
「彼らは川で卵から孵ると海へ泳ぎ下り、個体差はありますが
平均的に約四年後、生まれた川を違わずに探しあてて遡上し、
卵を残すと、その一生を終えます。」
──「夜会」VOL.13 DVD 封入冊子の見開きページより


沖積平野を減らすことは、河口の幅がうんと広がることであり、じゃまっけな工作物も沈むし、「イクラの親」の溯上には都合がよかろうと。地球式の、解の、一例として挙げてみただけさ。

なんだ。定食屋88の「いくら丼」が食いたくなってきたな。三軒隣の蕎麦屋にも寄るか。じゃ、ちょっと、行って来る。つばめ島に。──渡老人に会えるかもしれないしね。


日本沈没 第二章 4

 外人客や、ビジネスマンらしい人々、それに夜会でもあるのか、盛装した華やかな娘たちなどのむらがっている間を通りぬけて行くと、ロビーから一段高くなったラウンジの奥から、黒っぽい服を着た背の高い、がっちりした体格の青年が近づいてきて、きちっと礼をした。
「お待ちでございます。どうぞ──」
 青年が腕をさしのべたほうを見ると、そこに車椅子があり、骨と皮ばかりの老人が、この暑さに膝に毛布をかけ、じっとうずくまっていた。……

「田所さんじゃな」
 意外にしっかりした声で老人がいった。……

「なるほど──やっぱりどこか似ている。わしはあんたの親父さんを知っている。田所英之進──じゃったな。きかん気の小僧じゃった」
「あんたは?」と田所博士は、やや毒気をぬかれて、老人を見つめた。
「まあ、そこへかけなさい──」と老人は、のどにからむ痰を切りながらいった。「名前など、どうでもいいし、渡といっても、あんたは知らんじゃろ。──ただ、わしはもう百歳を越えとる。・・・・・・今日、あんたに来てもらったのも、年寄りのわがままからじゃ。──あんたに聞きたいことがある。答えてくれるかな?」

「なんでしょうか?」田所博士は、いつのまにか、椅子に腰をおろして、汗をふいていた。
「ちょっと気がかりなことが一つある・・・・・・」老人は、鋭い眼で、ひたと田所博士を見つめた。「子供のようなことを聞くと思うかしらんが、この老人に、一つだけ気がかりなことがある。──つばめじゃ」
「つばめ?」
「そうじゃ。──わしの家の軒先に、毎年つばめが来て巣をかける。もう二十年来のことじゃ。それが、去年、五月に来て巣をかけ、どういうわけか、七月になるといなくなってしもうた。産まれたばかりの卵をおいてじゃ。──そして、今年はついに来なかった。わしの家の近所でも、そうじゃ。──これは、どうしてかな?」
「つばめが──」と田所博士はうなずいた。「そうです。お宅だけじゃなくて、全国で同じようなことが起こっています。・・・・・・鳥だけじゃなくて、回遊魚の数も、大変動を起こしつつあります」
「ふむ・・・・・・」と老人はいった。「いったいどうしたんじゃろう?──何かの前ぶれかな?」・・・・・・

映画『日本沈没』(東宝 1973年)「つばめじゃ」(1:34)

…つばめよ 高い空から教えてよ・・・ 島津亜矢 2010年(4:21)



「蕎麦といくら丼で、腹いっぱいになったよ」と、ジョー・高橋。
「渡老人には?」と尋ねるアスカ。
「いや。その代わりといってはなんだけど、みんないたよ」
「モーガンは、中間ステーションのクラークと映話していた」
「チャン・リーは、計測データの検討に集中」
「ヨーゼフは散歩していた」
「ヴィンセントは、うまそうに煙草だ」
「マイケルは?」
「彼は、まだ、ルマン島にいる」
「丸一日、といっても、休憩をはさんで、24時間、コースを走り続けるつもりらしい」

「こちら、ナンシー」
「なんだ」
「渡老人は、北海の島に向かわれています」
「ああ、そうか」
「あの沈んだ列島、その北端にあった島。一部が地上に残った。北海の島だね」
「ええ。──会いたい娘がいてのう、お雪というんじゃが、とおっしゃっていました」





ルマン島のマイケル。全長13.469kmの周回コースを、ゆっくり流していた。55台が参加するレースは、まだ、先だった。十数台の車が思い思いに走っているなか、マイケルは、ポルシェ20番車の座席にあって、ステアリングを握った指を少し開きながら、四時を待っていた。

栄光のル・マン

『栄光のル・マン』(1971年)ENDING(4:42)Michel Legrand

栄光のル・マン
栄光のル・マン

STEVE McQUEEN LE MANS
CINEMA CENTER FILMS AND SOLAR PRODUCTIONS
PARAMOUNT HIGH DEFFINITION
SL 120545 BLB 109min.


──つづく