コンサートでもない、映画でもない、SFでなくもない 「HTML劇場」──

情報風景インスティテュート株式会社

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Human Noon


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第十二章 ニーチェの事業


第一部

ツァラトゥストラの序説

 ツァラトゥストラは、三十歳になったとき、自分の故郷と故郷の湖を捨てて、山にはいった。そこでかれはおのが精神の世界に遊び、孤独をたのしんで、十年間倦むことがなかった。しかし、ついにかれの心に変化が起こった。──ある朝、かれは空を染める 紅 とともに起きあがり、日の前に歩み出、日にむかってこう語った。「おまえ、偉大な天体よ。おまえの幸福もなんであろう、もしおまえがおまえの光を注ぎ与える相手をもたなかったならば。 ……
 こうしてツァラトゥストラの没落は始まった。(p.13)


第三部

新旧の表

29

「なぜそう硬いのか」──あるときダイヤモンドが木炭にたずねた。「われわれは近親ではないか」──
 なぜそんなに軟らかいのか。おお、わたしの兄弟たちよ。そうわたしは君たちにたずねる。君たちは──わたしの兄弟ではないか。
 なぜ、そんなに軟らかいのか、なぜそんなに回避的、譲歩的なのか。なぜ君たちの心にはそんなに多くの取り消しと中止があるのか。なぜ君たちのまなざしには、そんなにわずかしか運命がないのか。
 もし君たちが運命であること、仮借なき者であることを欲しないならば、どうして君たちはわたしとともに──勝利を得ることができようか。
 そしてもし君たちの硬さが、光を放ち、分かち、切断することを欲しないならば、どうして君たちはいつの日かわたしとともに──創造することができようか。
 創造する者はすなわち硬いのだ。だから君たちは次のことを、君たちの享受しうる至福として、その達成に力をつくさなければならない。それは君たちの手形を、数千年にわたる未来の上に、蝋の上に印するように、はっきりと印することだ。──(p.345)

快癒しつつある者

 ──だからわたしはふたたび地と人間との大いなる正午について語り、ふたたび人間たちに超人を告知するのだ。(p.357)


第四・最終部

正午

 ──そしてツァラトゥストラは走りに走った。もはや何びとにも会わず、かれ独りだった。くりかえしくりかえしおのれひとりに会い、おのれの孤独を味わい、すすった。そして、もろもろのよいことを思い浮かべながら──数刻が立った。さて正午の時刻となり、太陽がツァラツゥストラの真上にかかったとき、かれは一本の、曲がりくねって節くれだった老樹のほとりを通りかかった。(p.443) ……

 その夜が明けた朝、ツァラトゥストラは、臥所からとび起き、腰に帯をまき、洞窟の外に出た。燃えるような熱気と力にみちていた。暗い山のかなたからのぼる朝の太陽のようだった。「おまえ偉大な天体よ」とかれは、かつてのことばと同じことばを語った。「おまえ深い幸福の目よ、もしおまえがおまえの光を注ぎかける者たちをもたなかったら、おまえの幸福もすべて何であろう。 ……
 わたしの事業へ、わたしの昼へ、わたしは出て行こうと思う。しかし、かれらはわたしの朝の徴を、理解しない。わたしの足音は──かれらにとって──眠りをさます呼び声ではないのだ。…… (p.527)

「よし。その同情の季節は──過ぎたのだ。
 わたしの悩み、そしてひとの悩みへのわたしの同情、──それがわたしに何のかかわりがあろう。いったいわたしはわたしの幸福を追求しているのか。否、わたしの追及しているのは、わたしの事業だ。
 よし。獅子は来た。わたしの子どもたちは近い。ツァラトゥストラは熟した。わたしの時は来た。──
 これがわたしの朝だ。わたしの日がはじまる。さあ、のぼれ、のぼってこい、おまえ、偉大な正午よ」── (p.532 最終頁)


ニーチェの備忘録

「決意。わたしが語ることにする。もはやツァラトゥストラが語るのではない。」



 訳者 手塚富雄
 1978年4月15日11版
 中央公論社