コンサートでもない、映画でもない、SFでなくもない 「HTML劇場」──

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第十五章 不運な大統領

 儀礼上の意志表示として、この五百年祭の一年間、彼女は合衆国の大統領であるばかりでなく、地球の大統領でもあった。そして、もちろん、彼女は、どちらの職も望んだわけではなかった。もしそうだったとしたら(あるいはそのような不謹慎さを疑われただけでさえ)、彼女は自動的に除外されていたことだろう。過去一世紀にわたって、地球におけるほとんど全部の政治的な最高ポストは、必要な資格を具えた個人のリストの中から、コンピューターのランダムな選択によって任命されていた。ある種の公職は、それを志願する者たちに決して与えてはならない(とくに彼らが熱意を示しすぎるときには)、ということに気が付くまでに、人類は数千年かかったのである。あるうがった政治解説者がいったように、「われわれは、嘆いたり暴れたりしながらホワイト・ハウスに運ばれ──しかしその後は、態度が神妙であるという理由で休暇がとれるように、職務に最善をつくすような大統領が欲しい」のだった。(『地球帝国』p.166,167)


 サラッサの大統領は、まだこの職についてからわずか二カ月で、依然として自分の不運に甘んじてはいなかった。だが、任期の三年間にわたって、この逆境に善処する以外には、どうすることもできなかったのである。再計算を要求しても無駄なことは確かだった。一〇〇〇桁の数字をでたらめにつくって、それを混ぜあわせる選出プログラムは、人類の創意が考案することのできた純然たる偶然に最も近いものだった。

 大統領官邸(二〇部屋で、一部屋は一〇〇人の賓客を収容するだけの広さがある)に曳きずりこまれる危険を免れるのに有効な方法は五つあった。三〇歳以下か、七〇歳以上の年齢であればいい。治療不可能な病気であってもいい。精神に欠陥があってもいいし、重罪をおかしてもいい。実際問題としてエドガー・ファラダイン大統領に残された選択は最後のものだけであり、彼はそれを真剣に考慮した。

 それでも、自分がこうむる個人的な不自由にもかかわらず、これが人類の発明した最善な政府の形態なのかもしれないことは、認めざるをえなかった。母なる惑星は、試行と多数の怖るべき錯誤を通じてこれを完成するために、一万年ほどを要したのだった。

 成人の全人口が知的能力の限度まで(ときには、なんとそれ以上まで)教育されるとすぐ、掛け値なしの民主主義が可能になった。
 ……
 それ以後、国家の元首を選ぶのは、それほど重要なことではなくなった。その職務を意識的にねらう者は自動的に失格とすべきことが広く承認されてからは、およそどんな方式でも同じくらいうまく機能したが、手続きとしては抽選が最も単純だった。
(『遥かなる地球の歌』p.83,84)