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第四部 Global Village



南極条約が、赤道条約を経て全球条約の協定に至った。
署名 2061年12月1日(ワシントン)。通称「ハレー条約」。

ハレー彗星回帰
 前々回:1910年春 写真撮影が行われた
 前 回:1986年冬 探査機が送られた
 今 回:2061年夏 有人宇宙船が着陸、基地設置、 抽選・・ で「昭和基地2」と命名


第十四章 南極条約

南極条約 抜粋
署名 1959年 12月 1日(ワシントン)

アルゼンティン、オーストラリア、ベルギー、チリ、フランス共和国、日本国、ニュー・ジーランド、ノールウェー、南アフリカ連邦、ソヴィエト社会主義共和国連邦、グレート・ブリテン及び北部アイルランド連合王国及びアメリカ合衆国の政府は、

南極地域がもつぱら平和的目的のため恒久的に利用され、かつ、国際的不和の舞台又は対象とならないことが、全人類の利益であることを認め、

南極地域における科学的調査についての国際協力が、科学的知識に対してもたらした実質的な貢献を確認し、

国際地球観測年の間に実現された南極地域における科学的調査の自由を基礎とする協力を継続し、かつ、発展させるための確固たる基礎を確立することが、科学上の利益及び全人類の進歩に沿うものであることを確信し、

また、南極地域を平和的目的のみに利用すること及び南極地域における国際間の調和を継続することを確保する条約が、国際連合憲章に掲げられた目的及び原則を助長するものであることを確信して、

次のとおり協定した。

第一条
1 南極地域は、平和的目的のみに利用する。軍事基地及び防備施設の設置、軍事演習の実施並びにあらゆる型の兵器の実験のような軍事的性質の措置は、特に、禁止する。
2 この条約は、科学的研究のため又はその他の平和的目的のために、軍の要員又は備品を使用することを妨げるものではない。

第二条
国際地球観測年の間に実現された南極地域における科学的調査の自由及びそのための協力は、この条約の規定に従うことを条件として、継続するものとする。

第五条
1 南極地域におけるすべての核の爆発及び放射性廃棄物の同地域における処分は、禁止する。
2 核の爆発及び放射性廃棄物の処分を含む核エネルギーの利用に関する国際協定が、第九条に定める会合に代表者を参加させる権利を有するすべての締約国を当事国として締結される場合には、その協定に基づいて定められる規則は、南極地域に適用する。

第六条
この条約の規定は、南緯六十度以南の地域(すべての氷だなを含む。)に適用する。ただし、この条約のいかなる規定も、同地域内の公海に関する国際法に基づくいずれの国の権利又は権利の行使をも害するものではなく、また、これらにいかなる影響をも及ぼすものではない。

第十条
各締約国は、いかなる者も南極地域においてこの条約の原則又は目的に反する活動を行なわないようにするため、国際連合憲章に従つた適当な努力をすることを約束する。

第十三条
6 この条約は、寄託政府が国際連合憲章第百二条の規定に従つて登録する。

第十四条
この条約は、ひとしく正文である英語、フランス語、ロシア語及びスペイン語により作成し、アメリカ合衆国政府の記録に寄託する。同政府は、その認証謄本を署名国政府及び加入国政府に送付する。
以上の証拠として、下名の全権委員は、正当に委任を受け、この条約に署名した。千九百五十九年十二月一日にワシントンで作成した。


赤道条約

南極条約第六条で「この条約の規定は、南緯六十度以南の地域に適用する」と定めています。

……南極条約の協定から百年後、定例会議で、ニュージーランドとチリという国が南極条約の拡張を提案しました。南緯六十度以南を、南緯二十度以南に拡張するものでした。会議の主要国は北半球にありましたから、大きな議論もなく採択されました。なお、条文に反映されることはありませんでしたが、反捕鯨の運動が考慮されたともいわれています。

会議は提案国の穏やかで誠実な態度によって、控え目な討論となり、採択されたことは特筆すべき事実でしょう。議事録を読めば明白です。演戯名人ヨーゼフの文体の影響が推察されましたが、それが事実であろうがなかろうが、南極条約の前文にある「科学上の利益及び全人類の進歩」について、誰をもが、表立って反対することはできませんでした。

拡張南極条約で実利を得たのは紛争の絶えない南アフリカでした。豊富な希少金属の正当なる輸出によって、総生産は、最初は緩やかな上昇を、数年後には、十パーセントに近い上昇を果たし、後進国という蔑称は自然消滅しました。

それを見た、かつて日本列島に棲んでいた人々は──日本列島は沈み、パプアニューギニアに移住していたのですが──赤道条約を提案しました(なんと国旗を掲げながら)。赤道を跨ぐ二十度、すなわち、南緯十度から北緯十度が、その提案地域とされました。

アインシュタインの名を知らない人がいないように、ダーウィンの名はガラパゴス諸島とともに多くの人々に知られています。ガラパゴス諸島は環太平洋の東端の赤道直下にあります。赤道条約の提案に当たって、世論に訴えるためもあって、この事実を指摘することを忘れませんでした。世界の人々は、自ずと赤道上の島々──インド南西に位置するモルディブ諸島など、南国の楽園──に関心を寄せました。

五十基をこえる原子力発電所は日本列島とともに海の底に沈みましたので、パプアニューギニアの北方沖合に、多数のメガフロートを浮かべて太陽光発電施設を建設し、電力を得ていました。南極条約第五条の「放射性廃棄物の同地域における処分は、禁止する」を守ったわけです。なお、その頃、工学者の間で地球塔が議論されていました。地球の地下資源に依存することなく、地球塔四基の上部宇宙空間に巨大な太陽光発電所を建造することで、地球圏のエネルギー消費の大半を賄うことが可能になるとの試算を得ていました。

さて、この赤道条約が、いわば触媒となって、すぐに回帰線条約として改定されました。北緯23度半の北回帰線と南緯23度半の南回帰線で挟まれた地域です(ハワイ諸島が含まれます)。この改定には、スリランカ民主社会主義共和国の匿名氏が示唆を与えたと一部では報じられていますが、真偽のほどは不明です。

いずれにせよ、拡張南極条約(南緯20度以南)と回帰線条約(南北23度半)によって、事実上、北緯23度半以北だけが取り残されたかたちになりました。かつての自称・先進国に残された道は、先回りをして、北極条約を提案することでプライドを保つほかありませんでした。

若干の(見苦しいといってかまわないでしょう)内輪もめがありましたが、国際天文学連合の「回帰線は地軸の傾きによるものである」との指摘によって、世界地図を見なれた政治家のあいだに、23度半傾いた地球儀をもみるよう促すことになりました。そして、「地球はひとつ」(もしくは Global Village)の標語が語られるようになりました。

ここに、南極条約が赤道条約を経て、全球条約──南緯九十度から北緯九十度──となったのです。この過程で、いわゆる政治家というものに、成り手が激減しました。国際間の紛争──ときに局地戦を伴う──の処理に、いいかげん嫌気のさした若手の政治家が愛想をつかして去りました。そののち彼らは地球公社の行政官として、その有能ぶりを発揮したことは多くの人が知るところです。

地球大統領は、試行錯誤の末、抽選で選出するよりほかになくなり、政治機構のほとんどは地球公社に移管され、政治は儀礼的なものだけが残りました(参照:第十五章 不運な大統領)。

こうして、南極条約の「科学上の利益及び全人類の進歩」に端を発して、地球塔の建設の基礎が築かれたのです。